【水墨画】渇筆の極み!漫画?こんなぶっ飛びの水墨画見たことない!

こんにちは
水墨画家のCHIKAです。

前代未聞の水墨画家の
展覧会が開催されてます。

たぶんこれからもっと
話題になるのでしょう。

技法から生き方まで
もっとも画家らしいけど
とにかく ぶっ飛んだ
人のようです。

今回は
「こんな水墨画家がいたんだ!?」
篁牛人の事を書いてみました。

【水墨画】まず技法と表現にぶっ飛び

初めて観たのはTVの
紹介番組ではありますが、
画だけを観た感想としては、
「いつの時代の人?」
って感じでした。

特徴を見てください!

・渇筆
・デフォルメ
・漫画
・キャラクター

このどれを取っても
ぶっ飛ぶ というのですから、
新時代の水墨画アーティスト
と言っても不思議ではない
と思います。

【水墨画】牛人の“渇筆”とは


水墨画の技法のひとつ
ではある“渇筆”ですが、
牛人の表現するそれは
明らかに大きく違います。

【水墨画】渇筆とは

渇筆とは筆に含ませる
水の量を極力少なくして
乾いた質感や粗い質感を
出す方法です。

かすれた状態ですね。

水墨画では逆に
潤筆という筆に含ませる
水の量を多くして
ゆっくり運筆する方法とを
組合せて画面を作っていく
ことが多いです。

そのため水墨画の
大きな特徴である
グラデーション
その対比によってより
美しく表現出来るのです。

【水墨画】牛人の渇筆

対して牛人の渇筆は、
中間色を全く使っていません

にじみがほとんどないのです。

これは明らかに
今までの水墨画の
世界からすると
前代未聞でしょう。

『渇筆の画家』と言えるほど
ハッキリしたスタイルです。

このようなスタイルになったのは
偶然だったかもしれません。

戦地に赴いた際、
水が手に入らずほとんど
乾いたような墨で描いたこと

それが面白い表現に繋がった、
のだそうです。

【水墨画】牛人の渇筆方法

どのようにして
表現しているのでしょうか?

牛人の使っていた道具が
TVで紹介されていました。

その中には

“隈取筆” (間違っていなければ)

が映ってました。

ぼかし筆とも呼び、
日本画や水墨画でも
よく使う筆です。

水を含ませてぼかしたい
ところに使用します。

このような筆です。

牛人はこの筆を短く
切っていました。

短く切った筆に乾きかけた
ほどの濃墨を付けて、
紙に叩きつけて削るようにして
陰影を付けていったようです。

クローズアップされた
映像を見ると濃く表現された
部分は随分毛羽立ってました。

番組では水墨画家が
模写をして解説されてましたが、
そんなに力を入れなくても
このカットされた筆だと
簡単に紙が捲れ上がってました。

捲れ上がった濃墨の部分が
牛の毛の質感だったり、
表現に役立っているのですね。

【水墨画】使える和紙はただ一つ

ここまで毛羽立たせれば
通常使う水墨画の紙では
絶対と言っていいほど穴が空きます。

このような特殊な描き方が
出来るのは紙も特殊でないと
無理ですね。

牛人は越前麻紙という
丈夫で厚みがある紙にこだわり、
使用しました。

大きな作品や絵の具を厚く
塗り重ねるのに向いている紙です

ただとても高価であったために
牛人が使い続けるには
限度があったようです。

【水墨画】漫画のような描き方


牛人の描く人物は
漫画に出てくるように
愛嬌のあるものです。

渇筆で描かれた樹木や
生き物に対して、
漫画のような人物の対比は
これまた前代未聞です。

【水墨画】人物の描き方

人物の描き方の特徴としては

  • 鉄線描で描かれている。
    仏画の描き方の一つです。
    肥痩のない均一な線です。
    有名なのは法隆寺金堂壁画の
    仏の輪郭線です。

    法隆寺金堂壁画 阿弥陀浄土図 上部 /ウィキペディアより
  • 輪郭線は面相筆を使っている。
    細い線がきれいに引ける筆です。

不自然に見えるほど細い線ですが、
きっと近距離で観ると
もっと迫力を感じそうです。

【水墨画】リスペクトしているのは

このこだわりの人物の描き方から
リスペクトし影響を受けたのは
藤田嗣治だろう、と
某番組では解説されてました。

細線に白を強調した描き方
確かに似てます。こだわってます。

【水墨画】お決まりのキャラクター

さらに必ずと言っていいほど
同じキャラクターを
画の中に潜ませています。

カタツムリ
フクロウ
シャクトリムシ

えっ!なんで?!

って突っ込みたくなりますが、
きっと牛人の中では
絶対必要なキャラクター
なのでしょう。

鑑賞者にとっては
画中のキャラクター探しは
結構楽しい作業になるかも
しれませんね。

【水墨画】牛人風デフォルメ


二つ目の特徴として
極端なデフォルメが目を引きます。

人物にしても生き物にしても
とにかく表現がデカです。

人物であれば
頭が小さく体がデカい。

生き物であれば
特徴をほとんど無視して
いるほどデフォルメが
効いてます。

パンパンに張った描き方は
とても特徴的ですが、
なかなかの迫力です。

【水墨画】画壇に属さない画家の運命


篁牛人は孤高の画家です。

どの画壇にも属さずに
独自のスタイルで勝負した画家です。

当時は漫画のような画は
低く評価されてたので、
牛人にとっては独自の
道を進むしかなかったでしょう。

今日までの日本の絵画史の中で
画壇に属さない画家は
沢山存在しています。

水墨画家では記憶にないですが、
最近では
渡辺省亭(1851~1918年)や
田中一村(1908~1977年)が
孤高の日本画家として
注目されています。

画壇に属さないということは、
評価されることなく
忘れ去られるということと
ほぼイコールなのです。
時代が評価してくれるまで。

これからも多くの忘れ去られた
素晴らしい画家が続々と
発掘されて欲しいと思います。

【水墨画】牛人とはどんな人?


ここで篁牛人の生い立ちを
見てみたいと思います。

篁牛人(1901~1984年)
富山県富山市の生まれ

生家は善照寺(浄土真宗)で
10人兄弟姉妹の次男坊。

小さい頃から中国故事や
老子荘子に親しんで
いたということです。

富山県立工芸学校卒業後は
富山県売薬同業組合図案部に就職。

ここでデザイナーとして
働きます。

木象嵌師の中島杢堂と組んで
工芸展で何度も受賞を重ね、
高い評価を得ていました。

牛人が30歳代から40歳代は
西洋美術の流れとして
シュールレアリスムの時代でした。

もともと画家になりたかった
牛人はピカソ藤田嗣治などに
影響されていきます。

常に画風を変えるピカソの
追求心には強く魅かれたようです。

【水墨画】画家一本での再出発


戦後復員した牛人は
画家一本で生きていくことを
決意します。

けれど牛人の理想とした画は
全く売れず評価もされません。

当時は水墨画は人気がなく
抽象画が流行していた時代です。

とうとう紙さえ買えなくなりました。

やむなく小さな作品を
描いていたようです。

渇筆にこだわりながらも
様々な画風には挑戦していきます。

【水墨画】ぶっ飛びの放浪生活


牛人54歳から64歳

家族を少しも顧みず、
とうとう放浪生活を始めます。

画を描いていない時は
浴びるようにお酒を飲んで、
という乱れた生活の中で、
描き溜めた画を自ら売り歩く。

こんな生活を10年間も!
続けました。

【水墨画】パトロンとの出会い


放浪生活の最中、
牛人61歳の時です。

パトロンと出会います。

これで思う存分画が描ける!!

画題も構図もすでに
頭の中に出来上がっている。
描きたかった紙で、
あとは手を動かすだけ。

そんな牛人の心の中を
想像せずにはおられません。

ここから牛人は
大画面の迫力ある渇筆画を
描いていきます。

渇筆の技法がさらに
極まっていきます。

【水墨画】牛人の作品


「山姥と金時」

「寒山拾得」

「天台山豊乾禅師」

「雪山淫婆」

「老子出関の図」

「西王母と小鳥」

「蛟龍」

【水墨画】篁牛人記念美術館

牛人の故郷である富山県富山市にある
篁牛人記念美術館にて
作品を鑑賞してみませんか?

展示会他のご確認は下記サイトまで⇩

※富山市民族民芸村/篁牛人記念美術館
https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/takamura/takamura.html

まとめ

いかがでしたか?

今回は忘れ去られていた
孤高の水墨画家、篁牛人について
知る限り書いてみました。

これを機にもっとぶっ飛ぶ
異色の水墨画家が続々誕生
するかも?しれませんね。

私も是非牛人の故郷の地で
じっくり鑑賞してみたいと
思います。

それと是非牛人の手法で
渇筆の水墨画を
描いてみたいと思います。

楽しみです。

ABOUT US

はじめまして 水墨画作家のCHIKAです。水墨画を独学で学んだ経験を活かし、全くの独学でも楽しめる方法を日々trial and errorで実践中。“変化・継承する素晴らしさを自然から学びたい”思いで里山暮らしを体験中。野鳥好き・猫好き。アクリル画にも挑戦中。京都生まれ