自己紹介

こんにちは

水墨画家のCHIKAです。

今回は私の自己紹介に
お付き合いいただこうと思います。

私がなぜ人生の折り返し地点で
画を描くようになったか?

しかもプロになろうと
無謀なことを考えたか?

私が出来たことは
誰にでも起こりうること

もしこのブログを読んでくださっている
初心者の方、独学者の方が

「今からでも遅くないかも」
「独学でも自分の表現が出来るんだ!」
「プロになれるかも」

そんな風に思っていただければ
これほど嬉しいことはありません!

良い環境ではあったけど


私の母方の実家は
古くから京都で染物屋を
営んでいました。

時代の復興とともに
両親は染物の工房を復活させ、
作家活動が出来るほどに
なっていきました。

幼い頃の私はそんな工房を
遊び場として育ちました。

染料や蝋のにおい、
沢山の反物、図案や
出来上がった着物が並ぶ部屋、
それが幼い私の身近な居場所でした。

父親も時代の波に乗って
本格的に水墨画家として
活動していました。

スケッチにはいつも
連れていかれました。

一緒というだけで、
私は絵を描くのではなく、
田舎の空気を思いっきり
吸い込んで走り回ってました(笑)

図工は大の苦手


一見、恵まれた環境に見えますが、
本人にとってはそうではありません。

その環境しか知らないのです。

良いも悪いも比較しようがないので
私にとっては辛いことのほうが
多かった気がします。

まず嫌だったのが
「君のご両親は立派なのに・・・」
から始まる先生の言葉。

これは小学校から高校まで
私を苦しめた言葉でした。

つまり自分で自分に
劣等感を植え付けて
いたのかもしれませんね。

そのため図工の時間は
苦しみの時間でもありました。

頭にはいろんなことが
浮かんでいても
何をやっても完成品が
時間までに作れない子に
なっていきました。

思春期を迎え、
さらに自分を追い込むことに
なっていきます。

進路は美術?音楽?


そうは言っても
自分の道を決めていかなくては
いけません。

音楽の道?
これは母親が自分の
青春時代に目指したい道
だったようです。

私にとってはこれもまた
“縛り”になっていきました。

じゃあ一体私はどっちに進みたい?

現在の私なら即答出来ます。
美術に進みたい! と

でもこの当時の私には
どちらでもなかったのです。
とても中途半端な私。

えっ! 贅沢ですか?

でもどちらも
ゼロからのスタートですから。

両親に絵の手ほどきを
受けたことはありません。

どちらにしても
頑張らなくては
何者にもなれません。

切羽詰まって結論は
音楽の道にとりあえず
進むことになります。

とりあえず・・・

だったのです。

足元にあった自分の道


何となく大学に入って
何となく卒業して
そのまま永久就職。

またまた時代に流されるまま
自分の意志があるのかないのか?

無駄な人生を送ってしまった感を
抱えながら
同居、子育て、両親の介護 と
忙しい毎日を悶々と送っていました。

そして両親との別れのあと、
私は足元にずっとあった
自分の進む道にやっと
気付くことになりました。

プロの道は厳しい


話は少し前後しますが、

母親が我が家の復興のため
立ち上げた工房には
プロを目指す若い職人さんたちが
日々研鑽を積んでいました。

毎日が戦い

と言っても過言ではないくらい
両親は戦ってました。

その母親が日々口にしていたのは
「仕事場に置いてあるものには
手を触れないように」でした。

そうなのです。
商売道具ですから、
我が家では子供が
勝手に触れるものでは
ありませんでした。

そのため残された両親の
商売道具を整理するまでは
筆一本持ったことは
ありませんでした。

両親は苦しむだろう
この道を(職人、画家の道)
継がせたくなかったのです。

でもその道具の一つ一つが
私に語りかけてきました。

「もういいよ」

どの道具もその一つ一つに
職人魂が込められているもの。

使わなければただの
ゴミになってしまう。

これは大変だ!!

あるメンターとの出会い


それからは残りの人生
“水墨画家”を目指せ!

ということに決めたのです。
人生折り返し地点も
すぐ目の前という年齢でした。

趣味で終わらせたくない!
プロとして活動したい!

知識ゼロからの出発でした。

その時その時、一歩一歩
自分に負荷をかけながら、
公募展や海外交流展などに
出品することで、
個展の機会を伺っていました。

ところが!!

あるブログに目が釘付けになりました。
いえ、その時点ですでに
私は迷っていたのです。

心の声がこう言いました。
「このままいつまでも
公募展他に出品することのみに
大切な自分の時間を費やしていって
何になるんだ?」と

もっと時代にあった
そして自分しか出来ない
表現をしたい!!

そう思っている自分がいて、
そのブログから
目が離せなくなっていました!!

この方のプロ意識と
確実に絵を職業として
成り立たせる方法が
事細かく書かれていました。

ブログなのにここまで書く?!

その情熱に心動かされた私は
「自分も一歩先の景色が見たい」
と思うようになったのです。

好きな画を好きな人達とともに
刺激を受けながら
描いていきたい!!

そのためには悩んでいるより
行動あるのみです。

自分らしい表現を目指して


作品は少しずつですが
売れていました。

「描いてほしい」と
依頼されることもありました。

そんな状況に感謝しながらも
どこか自信が持てずにいました。

それは美大卒でなく独学のため、
きちんと基礎を学んでいない
ということが理由です。

報酬を取る以上、
自信を持って描き上げたい!

その不安やあせり等々の答えが
ブログにすべて
書かれているではありませんか!

私は『これだ!!』
と内心叫びながら
ノートに写し始めました。
(なんとアナログ(笑))

そっくりそのまま


そのノートをもとに
そっくりそのまま進めようと
早速個展の準備を始めました。

たとえ田舎で人が少なくても
次に繋がればそれでOK
という気持ちで進めました。

自信を持って

それは小さなロビー会場でしたし、
出品数も10点に満たなかったのですが、
半数が売れました。

「あなたから買いたい」


そして私にとっての
奇跡が起こり始めます。

私はこの出来事以来、
自信を持って描き上げた
作品に値段を付けることも
躊躇なく出来るようになりました。

お客様は満足してくださってます。
と思ってます(笑)

「あなたの画、好きよ」
「あなたから買いたい」
と言葉をかけていただいた時は
天にも昇る気持ちでした。

エリート学歴ではなく
ビジネス感覚も
無いに等しいのに

ではなぜ?

お客様は私自身に
興味を示してくださっています。

その期待感で励ましのお声を
いただくようにもなりました。

そして引き寄せの法則で
エネルギーが変わってきたのです!!

現在の夢

私は現在、島根県の山奥の
人口1万人ちょっとの小さな町で
田舎暮らしをしております。

念願の田舎暮らしの中で
どこまで活動が出来るか、
拡げられるかも
一つの目標になりました。

「墨絵の世界って奥が深いけど
その入り口は自由だよ」
「色んな世界が見えてくるよ」

とナビゲートするのが
私のmissionのようなもの。


劣等感の塊だった私が
自分らしい表現が
少しずつ出来るようになると、
こんなにも人が変わったように
なるものか?!

と自分でも不思議に思うくらいです。

朝日新聞デジタル/独学の水墨画家

現在私は庭に飛んでくる
野鳥たちから目が離せず
観察を続けています。

これも私の夢の一つでした。
若冲が言った言葉、
「観たものしか描かない」

私流に変えると
「描きたかったら会いに行こう」

既成概念にとらわれず、
自分らしさを表現の中心に

きっと絶対に
どなたにも起こりうる世界です。
アートで繋がりましょう!!

いつかお会い出来る日を
楽しみにしております。

おしまい