こんにちは
水墨画家のCHIKAです。
皆様の学びは順調に進んでますか?
日々描いて楽しんでますか?
自作発表の場はどうですか?
今回は私の小さな体験から
“描きたいものを描いて
表現したい方法で表現する”
ことを模索した数か月を顧みて、
私の大好きな絵師、
北斎の生きざまを通して
「描きたいものとその表現方法」
について私流の考えで
書いてみたいと思います。
目次
【水墨画】北斎の略歴
まずは簡単に北斎の生涯を
見ていきたいと思います。
【水墨画】誕生~画道を目指す
宝暦10年(1760年)
武蔵国葛飾郡本所割下水に生まれる
この時代は江戸ルネッサンス期で
円山応挙、伊藤若冲、池大雅
などのビッグネームがずらりと
並ぶ時代
浮世絵では鈴木晴信が
多色刷りを考案して
人気を博していた。
幼少期の北斎の
暮らしぶりは貧しく
貸本屋の丁稚、
版木摺りの徒弟となって苦労を重ねる。
この頃に貸本の画に興味を持ち、
画の道を志すことになる。
【水墨画】春章の弟子~破門
安永7年(1778年)19歳の頃、
人気浮世絵師、勝川春章に弟子入り。
春朗と名乗って役者絵や
黄表紙の挿絵などを手掛ける。
狩野派や琳派、西洋画など
あらゆる画法を学びながら
武者絵、名所絵、宗教画などなど
多くの作品を発表している。
【水墨画】宗理時代と独立
寛政6年(1794年)~文化元年(1804年)
北斎35歳の時、
勝川派を破門される。
ちょうど江戸では
酒井抱一が江戸琳派として
活躍している頃。
北斎は宗理を名乗り、
それまでの琳派様式とは
違う独自の宗理様式を確立
この時代は狂歌ブームで
北斎も多くの摺り物や
狂歌絵本の挿絵を描く
寛政10年には
北斎辰政と名乗って
流派に属さず独立宣言
【水墨画】読み本挿絵の時代
文化元年(1804年)~文化8年(1811年)
文化年間に入り、
北斎は読み本の挿絵に
力を入れていく。
限られた紙面の中での
奇抜な構図や墨の濃淡を
駆使した空間表現、
また西洋画の陰影表現にも取組み、
肉筆画も多く残す。
1805年には葛飾北斎の号を
1810年には戴斗の号を用いる
【水墨画】漫画、画手本時代
文化9年(1812年)~文政12年(1829年)
北斎54歳から70歳
この時代には門人が
全国に増える。
そのため画手本に力を注ぐ。
1814年(文化11年)は
北斎漫画が名古屋の版元から
初版刊行される。
あっという間に
江戸のベストセラーとなる。
【水墨画】風景画確立
天保元年(1830年)~天保4年(1833年)
北斎71歳から74歳
浮世絵の一種である
錦絵に風景画を確立
「富嶽三十六景」
文政6年初版刊行
洋風表現も積極的に使い、
南蘋派の表現も取り入れる
【水墨画】肉筆画の晩年
天保5年(1834年)~嘉永2年(1849年)
天保5年(1834年)
画狂老人、卍の号を用いる。
「富嶽百景」手掛ける
多くの肉筆画を手掛けた時代
天保の改革(1841年)で
奢侈禁止令が出され
自由に描けなくなる
小布施の高井鴻山とは
この頃から交流始まる。
弘化2(1845)年
上町祭屋台の
「怒濤図」制作
北斎86歳
嘉永2年(1849年)北斎90歳
江戸で没する
『天が私の命をあと5年
保ってくれたら本当の絵描きに
なることができるだろう』
【水墨画】描きたいものを描く
「描きたいものを
好きなように描く」
令和3年5月28日公開の
「HOKUSAI」の中の
北斎自身のセリフです。
とうとう葛飾北斎が
映画化されました!!
北斎の大ファンである一人として、
今のような世の中だからこそ
彼の「いきざま」を学びたい!!
画を学ぶものとしても
この生きざまは
非常に参考になると思います。
「描きたいものを
好きなように描く」
この言葉、
北斎の並々ならぬ
画を描くことへの情熱と
それにかけた生涯を
見ていくことで、
凄みを帯びてきます。
誰もが出来ることでは
ありませんが、
改めて生き方を見つめ直す
今だからこそ
注目されるべき生き方だと思います。
【水墨画】生涯現役
何と言っても凄いのが
生涯現役であったこと。
6歳から90歳、
ほとんど画を描くことしか
興味を示さない。
見るもの聞くもの感じるもの
そのすべてを
自分の画にしたいという貪欲さ
そのためには
破門されようが何されようが、
屈辱にも耐えながら
とにかく表現のためには
恐れずに学び続ける。
常に時代にあった
新しい表現にチャレンジし、
どんどん捨てて
どんどん手に入れていく。
そして名前まで捨てていく!!
改号なんと30回!!
執着ゼロ?!
名声など気にしない?
いずれにしても
圧倒的な数を描き、
誰も真似出来ない域に
達しています。
決して平安な時代
ではなかったのに、
時代の変化にこれほど
敏感に対応して
変化していった絵師も珍しい!
世界的な絵師として
注目されているのは、
技術だけではなく、
時代とともに
変化し続ける人物である、
ということがきっと
大きいのでしょうか。
【水墨画】猫一匹描けやしない
もっと凄いことに
85歳になっても
まだ高みを目指して描き続け、
娘のお栄の前で、
「猫一匹描けやしない」と
涙流して嘆いたという話し。
80年以上も描き続けていたら、
もう手が勝手に動いて
描けないものはないでしょうに!!
そしてお栄の言葉
「自棄になる時こそ上達する時」
そう言って描けないと嘆く
弟子を励ましたとか。
北斎の画以外の暮らしぶりは
現代人としてはいかがなものか?
とは思いますが、
私たち現代人の忘れている
大切な生き方が
示されていますよね。
【水墨画】子供心を失わない
これほど長きに渡って
ぶれることなく
己の生き方を画に捧げ、
貫き通すには、
子供心を失っては
成り立たなかったでしょう!?
・何でも不思議がる
・何でも面白がる
・自分で体験してみる
・評価など気にしない
・科学的な目を持つ
・最新の道具を駆使する
そして病気すら自分の身方にして
長生きの秘訣を公開している。
すべては画を描き続け、
神の領域に達するため。
「己(おのれ)六才より物の形状を写(うつす)の癖ありて、半百(50歳)の此より数々(しばしば)画図を顕(あらわ)すといえども七十年前画く所は実に取(とる)に足(たる)ものなし。七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚 (きんじゅうちゅうぎょ)の骨格草木の出生を悟し得たり 故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん歟(か) 百有十歳にしては一点一格にして生(いけ)るがごとくならん 願わくば長寿の君子予が言の妄(もう)ならざるを見たまふべし」
引用元:到知出版社/猫一匹まともにかけない
子供心はいつまでも
失いたくないもんです。
「思いっきり本気で遊ぶ」
そんな大人でありたいです。
北斎は思いっきり真剣に
生きることを面白がった
人なんでしょうね。
【水墨画】自分の表現探し
ここまで北斎の生き方を
ざっくり書いてきました。
「描きたいものを
好きなように描く」
今度は私流です。
40歳を過ぎて決意したこの道
どう藻掻いても
技術の向上は限られている
正直にそう思ってます。
ですが、
自分にしか出来ない
表現方法はいくらでも
可能ではないか?
若い頃に学んだ音楽も
今になって私の人生の
支えになっています。
今後の活動にも
是非とも活かしたい!!
それがどんなに
今の段階で未熟であっても
「自棄になる時こそ上達する時」
この言葉を常に心に留め、
鑑賞してくださる方々に
育てられて成長していきたい。
素直にそう思っております。
好きなように描くには
日々の修行が欠かせません。
ですが描いた作品を
自由に発表表現することは、
今すぐ行動に移せば
次へ繋がる何某かが得られます。
【水墨画】小さな体験から得たもの
そしてこの段階で
じっとしているのに
飽きてしまった私は
新たな自己表現を模索するために、
様々なアーティストと
繋がって自分の殻を破りたい!
自分しか出来ない表現を
求めるために刺激が欲しい!
と行動に移しました。
小さな田舎町で
どんな表現の仕方をすれば
面白い反応が得られるか?
また相乗効果が望めるか?
そして画家としての
成長を喜んでいける
発展的な活動が出来るか?
今回のチャレンジは
初めの一歩として
とても有意義なものとなりました。
行動してこそ得られた
嬉しい結果と
次に繋がる成果を頂きました。
【水墨画】誰もが求める表現の場
私の初のワークショップで
得たもののひとつに
「誰もが自分の
表現の場を求めている」
ということを改めて思いました。
それは水墨画の体験が
珍しかったこともありますが、
ご参加くださった皆さんは
すでに何かで自己表現を
されている方々が多かったこと。
時間いっぱい使って
面白がって取り組んで
くださいました。
「墨を磨るなんて何年ぶりだろ」
「こんなに自分だけの時間で
遊べるなんて贅沢かも」
「墨絵を鑑賞する目が変わった」etc
【水墨画】日本風水墨画
このブログで何度も書いているのが、
墨絵の括りと日本風水墨画の
ややこしさです。
それゆえ水墨画というと
「山水画である」
と想像される方もいます。正解です(笑)
「中国は山水画、日本は禅画」
という見方もあります。
現代では陰影も遠近も使って
なんと細密画もあって
完全に絵画になってもいます。
若い方々が表現している
水墨画、墨絵は
“モノトーンだからこそ
訴えるものがある”
“動きを表現出来る”
“修行のような
カッコよさがある”
“精神性を表現出来る”
パフォーマンス性の高い
表現方法が可能なので
人気があるのでしょうか。
一方、今回ふらっと会場を
訪れてくださった
ご年配の方々からは
「山水画や風景は
描かれますか?」と
度々ご質問いただきました。
ずっと日本人が
本場中国から学んできた
山水画も時代の流れもあり、
本格的に描く方が
少ないと聴きます。
独学の私はさすがに
山水画となると
師匠を求めない限り、
あるいは一生かかって
それのみに打ち込まない限り、
難しいのでは?と
これに関しては完全に
諦めております。
【水墨画】日本人独特の見方
もう一つこれは今回に限らず、
水墨画に限らずですが、
常々思っていることがあります。
それは日本人独特の
絵画の見方です。
国民性?というのでしょうか?
学ぶことが好きで
とことん追求するからなのか?
美術館や博物館に行くと
真っ先に向かう先は、
その画家や作品について書かれた
解説書やキャプションなのです。
まだ絵も鑑賞しないうちにです!?
私もいろんな絵師たちの
作品に触れるため
随分追っかけしてきましたが、
話題になればなるほど
その傾向が強いのは
専門家が指摘されているほど。
人それぞれの鑑賞の仕方は
あって当然ですが、
もっとキャプションに頼らず
「自分は何と言っても
この画のこんなところが好き」
という見方が増えればいいな
と僭越ながら思います。
【水墨画】外国の人の見方
外国のコレクターで有名なのが、
ジョープライスさんですね。
この方は全く忘れ去られていた
伊藤若冲ブームを引き起こす
きっかけを作った人。
京都の骨董店に足繁く通い、
何時間も画と向きあうことを
続けたうえで購入する。
まだその段階でも
画と対話するだけで
絵師の名前も経歴も
何も知らない状態なのです。
でもこれが自分の感性を
大切にして自分の目で
しっかり見極めた
本物のコレクターなんですよね。
プライスさんだって
最初は日本の絵画のことを
何もご存知なかったところから
スタートされているのです。
そう考えると日本人には
誰もがアーティストに
慣れそうなほどのDNAが
あるはずなのに・・・
周りの目を気にしない
「自分しか持っていない感性」
もっと大切にしたいです。
【水墨画】時代のせいにしない
私が好きな江戸時代。
今の時代と重なる思いで
振り返る時があります。
やっと戦争の時代が終わり
⇩
平和なバブル期を迎え
皆平和ボケする
⇩
災害が多発
⇩
政府が混乱
⇩
他国が干渉
⇩
下剋上
今ほどの流れの速さは
無くても歴史は繰り返されている
と感じずにはおられません。
北斎が活躍した時代も
そんな不安定な時代だったのです。
今こそ日本人の底力を
発揮する時ですね!
時代の波をものともせずに
生ききった先人がいる。
自分の“好き”を貫いて
きっと現代も
困難な時代だからこその
表現者が続々
出現してくるのでは
ないでしょうか?
私も一人の名もない
表現者として
これほどワクワクする
ことはありません。
どんな才能の人達と出会えるのか!
どんなアーティストの
支えになれるのか!
とっても楽しみです。
まとめ
今回は北斎の生きざまを
見ながら私の理想とする
表現ってどんな方法が
あるだろう? との模索から
書き始めました。
時代の変化をものともせず、
今こそ表現者として
闊歩したいものですね。
今回もご訪問いただき
ありがとうございますm(__)m