【水墨画】禅の象徴である“達磨画”入門/達磨を描いてみよう

こんにちは 水墨画家のCHIKAです。

鋭い眼光
もじゃもじゃの髭面
真一文字に結んだ口元
大きな鼻

顔のパーツがすべてでかい

そう、この方は達磨大師です。

日本に禅宗が入ってきたのは
鎌倉時代でした。

禅宗の修行の一つとして
水墨画も渡ってきました。

その禅の象徴としての人物が
達磨大師です。

修行の達磨さんから
アートな達磨さんまで

今回は禅宗の初祖である
達磨大師がどんな風に
描かれてきたかを
達磨の事績を元に
辿ってみたいと思います。

そして水墨画の
技法の練習として
達磨さんを描いて
みたいと思います。

[水墨画]禅宗について

直指人心じきしにんしん
見性成仏けんしょうじょうぶつ

全ての人の内面に仏性がある。

それを座禅をもって
気付くことを修行とし、
真の生き方を悟ろうとする。

その教えが禅宗です。

中国から渡ってきた禅宗ですが、
中国では明時代も終り頃には
廃れてしまいました。

日本では鎌倉時代に入ってきて
室町時代には幕府の庇護のもと
日本の仏教のひとつとして
広まっていきました。

今や日本独自の発展を遂げて
美術(水墨画・書)、建築、
作庭、茶道など

深く精神性に支えられ、
文化形成になくては
ならない形を作り上げ、
現代までつながっています。

[水墨画]禅宗の禅画とは

禅画とはどのような画を
指すのでしょう?

禅宗は偶像崇拝をしません。

そのためその教えを
表現するものとして
書や絵画が作られました。

よって禅画とは
禅僧が禅の修行のひとつとして
その教えや精神を墨で描いた
画のことを指します。

“禅画”は比較的新しい
呼び方になります。
それまでは「禅宗絵画」「禅林絵画」
と称されています。

呼び名だけではなく
禅の絵画自体に
時代的変化があります。

[水墨画]禅画/鎌倉時代~室町時代

まず鎌倉時代から室町時代の
修行僧が描いた水墨画を
禅宗画」といいます。

その中で

“達磨図”
禅の初祖であることから
初祖像または独尊像
として描かれます。

“頂相”
禅の高僧を描いた画です。
師から弟子に与えられ
その像は写実的に描かれます。

達磨図はこの“頂相”として
描かれているものもあります。

“禅機図”は悟りを開く
きっかけとなった場面や
禅問答を描いた画です。

有名なところでは
国宝『瓢鮎図』ひょうねんず があります。

国宝「瓢鮎図」 一部

[水墨画]禅画/江戸時代以降

江戸時代になると
禅は庶民の間にも
広がっていきます。

そこで在野の禅僧が
難しい禅の教えを
広くわかりやすく
説くために描いた画

禅画

と呼び、室町時代までの
禅宗画と区別しています。

この頃の禅画で
話題になる禅僧は

白隠慧鶴はくいんえかく
仙厓 義梵せんがいぎぼん  でしょう。

どちらも臨済宗の禅僧です。

[水墨画]禅画題の達磨大師とは

達磨は正しくは菩提達磨。

ペルシャの出身とか
南インドのバラモン出身とか
その出自はハッキリしません。

5世紀後半から6世紀前半頃
達磨は布教のために
中国に入ります。

その頃、南朝を治めていた
梁の武帝と問答を交わします

ところが熱心な仏教信仰者
であったにもかかわらず、
武帝が達磨の答えを
喜ばなかったため、

達磨は縁がなかったと
その地を離れて
嵩山少林寺へ向かいます。

そこで達磨は
座禅三昧の生活に
入ったとされます。

それが『面壁九年
と呼ばれる行です。

達磨に対するイメージは
“壁のように動ぜず、
強固な意志の人”
というのが一般的でしょう。

願掛けのときのだるまさんに
手足がないのは
この面壁九年の行が
あまりに過酷であったため、
手足が腐ってなくなってしまった
姿だと言い伝えられています。

なんと150歳まで生きた!
とされています。

[水墨画]達磨らしい達磨図

『達磨図』墨渓筆 模写

もっとも達磨らしい
達磨図と言われているのが
室町時代の禅僧、
墨渓筆、達磨図(真珠庵)です。

眼光鋭く、真一文字に結んだ口元。

髭や衣紋線の描き方も
達磨の気迫と強固な意志を
表現しているように見えます。

親交のあった一休さんこと
一休宗純が賛を書いています

「半身形象現全身」
(半身図でありながら、
全身の達磨を思わせるほど
よく表現している)

こちらの画像は模写です。
是非、このあと本物を
鑑賞してみてください。

模写をすると
とても学ぶことが多いです。
またとても楽しいです。

おススメの勉強法なので
また別の記事で書きたいと
思っています。

[水墨画]達磨図のいろいろ

『慧可断臂図』(斉年寺)

達磨の全身図・半身図が
出家、布教から死後に至るまで
その事績を元に
数多く描かれています。

[水墨画]達磨図『武帝達磨謁見図』

南朝の梁を治めていた
武帝に謁見した達磨は
武帝の質問に答えます。

「朕が皇帝に即位してから、
数え切れないほどの寺を建立し、
お経を写して仏教を広め、
僧侶の皆さんの生活を支えてきた。
まあそんなに大したことでは
ないのじゃが、
このくらい仏教を保護すると、
どれ位の功徳があるものだろうか」
それを聞いた達磨は、
「無功徳」
と切って捨てました。
「は?功徳がないとはどういうことだ」
「それは、煩悩でやった善だからです」
「じゃあどうすれば功徳がえられるのだ」
「完全なる智慧で、
やったことを忘れることです」
「朕に対してお前は一体何様だ?」
「知ったことではない!」

出典:仏教ウェブ入門講座

達磨の答えに怒った武帝。

問答無用、機が熟していないと
達磨は去っていきます。

[水墨画]達磨図『蘆葉達磨』

梁の国を離れ、
次の布教の地へ赴くため
揚子江を北へ蘆の葉に
立って乗った姿で
北魏の都、洛陽を目指しました。

蘆葉達磨』の図では
蘆葉に乗った全身達磨が、
描かれています。

この蘆葉は小舟を指します

[水墨画]達磨図『面壁達磨図』

洛陽に着いた達磨は
嵩山少林寺に滞在します。

ここで壁に向かって
座禅三昧の生活に入りました。

『面壁九年』の行です。

[水墨画]達磨図『慧可断碑図』

達磨が壁に向かって
ひたすら座禅を続けて
いるところに、
慧可という僧が訪ねてきました。

弟子入りを嘆願しますが
許されず、ついに慧可は
自分の左腕を切り落とします

その思いにやっと達磨も
弟子入りを許した。

という場面の画です。

[水墨画]達磨図『隻履達磨』

片方の履物だけを持った
達磨の画です。

達磨が中国で没して
しばらくしたのち、ある人が
西域あたりで達磨に会いました。

片方の履物だけを
持った異様な姿を
不思議に思い、尋ねてみました。

これから生まれ故郷の
インドに戻るのだと
達磨は答えました。

ある人が中国に戻って
達磨の墓を暴いてみると
遺体はなく、片方の履物が
残っているだけでした。

[水墨画]留守模様の達磨大師

『蘆葉達磨図』(留守模様)

“留守模様”とは
主役を描かずに物語を
表現する方法です。

この画では蘆葉を
描いて達磨を表します。

[水墨画]文字絵で達磨大師

』の字や
草書体の『』『』を使って
見立て画としても
達磨は描かれています。

江戸時代の人々は
今よりはるかに
文字に親しむ度合いが
濃密であった証しです。

[水墨画]遊女達磨

庶民の時代でもある
江戸時代には、
達磨さんもかなり
戯画化されます。

達磨大師は九年の苦行
遊女は十年の辛苦勤め

ということで、
遊女との取り合わせが多く描かれ、
あらゆるジャンルの
絵師たちが描いています。

『変わり蘆葉達磨図』(英一蝶)
『達磨遊女異装図』(奥村政信)
『女達磨図』(歌川豊国他)
『達磨耳かき図』(河鍋暁斎) etc

[水墨画]達磨図/スーパー禅僧

達磨図と言えばこの人、
白隠慧鶴(1685~1768)

江戸時代中期の禅僧で、
臨済宗中興の祖です。

「駿河には過ぎたるものが二つあり、
富士のお山に原の白隠」

と歌われたほどの高僧で、
達磨図だけでも数千枚も
描いています。

その達磨図の大胆な描き方は
現代人をも虜にする
アートな達磨さんの数々です。

民衆への布教が目的であるため
ほとんど技巧を無視した
描き方で描かれています。

熱烈な白隠コレクターが
国内外に存在します。

白隠の布教は21世紀も
続いているのか?!

画から受ける迫力は
そう思わせてくれるほどです。

[水墨画]達磨図/気になる鬼才

『達磨図』曽我蕭白筆

白隠の独特の技法は
近年、鬼才の絵師として注目の
曽我蕭白にも感銘を与え、
影響を与えているようです。

『達磨図』(曽我蕭白)

何とも情けないような
達磨の顔ですが、
一度観たら忘れられません。

落款から蕭白が酒席で
描いたことが分かっています。

酒席とはいえ
このユーモアたっぷりの
表情はなかなか
出せるものではありません。

蕭白にかかったら
達磨もこんな風に
なってしまうんですね。

[水墨画]達磨図/ゆるカワ人気

「○△□」仙厓義梵筆
出光美術館蔵

ゆるカワすぎる!!
と人気上昇中の禅僧画家がいます。

昨今注目を集めている、
これまた臨済宗の
禅僧 仙厓義梵せんがいぎぼん です。

美濃の生まれで
僧でありながら
奔放な生き方で知られています。

「死にとうない」
と辞世の言葉が逸話として
残されています。

仙厓さんの画は
生前からたいそう人気が
あったようです。

「うらめしや わがかくれ家は雪隠か
来る人ごとに紙おいてゆく」

思わずクスッと笑ってしまう
句ですが、それほど彼の画の
依頼者が後を絶たなかった
と言います。

その破天荒な仙厓さんも
『達磨図』を 描いています。

どのような境地で
描かれたものやら

この画がまたゆるいです。

模写/仙厓義梵「達磨図]

[水墨画]北斎の大パフォーマンス

達磨はイベントにも
登場します。

葛飾北斎は達磨図を描く
大パフォーマンスを
開催しました。

その大きさは200㎡ちかいもので
遠巻きに見ないとわからないほどの
巨大なものだったようです。

観客が達磨図だと
わかった時の歓声たるや
どれほどのものだったか、と
想像するだけでも
面白いですね。

[水墨画]達磨図/江戸の縁起物

張り子の起き上がり小法師
江戸時代になると
達磨大師と結びつきました。

怖い髭もじゃの達磨が
倒されても倒されても
起き上がってくるその姿は

七転び八起き」の言葉が
生まれるほど
人気者になりました。

同時に達磨大師の赤い衣が
疱瘡よけになると信じられ、
庶民の間で売れに売れました。

[水墨画]達磨さんを描いてみよう

それでは線描画を使って
2つの達磨を描いてみましょう。

半身図で描きます。

達磨の迫力を出すためにも
目元、口元は意識して
迷わず筆を進めましょう

[水墨画]線描と割筆で達磨図

線描だけで達磨を描きます。
割筆は達磨のひげと眉毛
の部分に使います。

割筆は絵皿の上か
指先でねじるか、で作ります。

割筆

濃墨だけで描きました。

濃墨のみの線画

ちょっと眉の毛描きがくどいですね(笑)

[水墨画]線描と濃淡つけて達磨図

衣文線は濃墨で
顔の部分は濃淡つけて
描いてみます。

濃淡をつけて

どちらの達磨も
鼻→両目→口→頭→衣紋線
最後に割筆をして
ひげと眉

の順に描きました。

[水墨画]『円相』を描いてみよう


達磨図と共に『円相』もまた
禅宗の絵画のひとつです。

悟り、真理、宇宙観を
象徴的に表すものです。

日々の稽古の前に
この円相を描くのも
面白いのでは・・・

と思います。

たっぷりと筆に墨を含ませ
迷うことなく一気に
描ききります。

達磨さんとの組み合わせも
面白いと思います。
禅の境地になって
描いてみましょう。

精神統一には
打ってつけですね。

まとめ

1.禅宗の初祖、達磨大師は『意志の人』
2.達磨さんを描く時は 線描画の技法を使う。
顔と衣紋線の線の違いをハッキリさせる。力強く一気に描こう。
3.円相を描いてみる。たっぷりの墨で一気に描こう。

[水墨画]年表

ABOUT US

はじめまして 水墨画作家のCHIKAです。水墨画を独学で学んだ経験を活かし、全くの独学でも楽しめる方法を日々trial and errorで実践中。“変化・継承する素晴らしさを自然から学びたい”思いで里山暮らしを体験中。野鳥好き・猫好き。アクリル画にも挑戦中。京都生まれ