剣豪宮本武蔵の水墨画「枯木鳴鵙図」から気迫ある画について考える

こんにちは 水墨画家のCHIKAです。

剣豪としての武蔵は有名でも
画人としての武蔵は
ひょっとしてそんなに
知られていないかもしれません。

けれどこの「枯木鳴鵙図」
武蔵が描いたと知った時、
なぜか納得出来るのでは
ないでしょうか?

それはなぜ?

今回は癒しの水墨画ではなく、
緊張感たっぷりの
気迫ある画について
書いてみようと思います。

宮本武蔵の水墨画|「枯木鳴鵙図」


この画には兵法の道を極めた
武人のすべてが込められている
と言われています。

宮本武蔵の水墨画|武人の画

禅とつながりの深い
日本の水墨画は
専門の絵師だけが
描いたものとは限りません。

戦国時代には
山田道安、土岐洞文他、
武人画家も存在していました。

この人、宮本武蔵もそう。

武人でありながら、
後半生は剣の修行の
ひとつとして水墨画を
描いていました。

その代表作といえば
この「枯木鳴鵙図」ですね。

一本の枯れ枝の先に、
何かを狙っているような
鋭い目をした鵙が留まっています。

一見鵙が主役と思いきや
どうやらそうではないらしいのです。

鵙の留まっている枝の下を
よく見てみると、
一匹の芋虫が上を目指して
登っています。

縦125.5 横54.3 の真ん中より
少し上のあたりに
芋虫がいます。

描かれた背景も考えずに
鑑賞していたときは
鵙の位置が上にあり過ぎて、
どうも不安定だな~
って感じがしていました。

芋虫もよくよく見ないと
見落としてしまいそうです。

武蔵のような剣の達人だから
鋭い目をした鵙が
武蔵を表しているのだろう、
と疑いなく思い込んで
いたのですが・・・

また題名も不思議といえば
不思議です。

鳴鵙図なのに『鳴いてるの?』
鳴いているふうには見えません。

宮本武蔵の水墨画|背景

枯木鳴鵙図 が描かれたのは、
『五輪書』とほぼ同時期。

おそらく熊本の細川家に
客分として迎えられて以降の
晩年期と推定されています。

この作品がどのような背景で
何を表現したかったか?

という論評はいまだに
多くないということですが、
2011年9月放送の『美の巨人たち』では
(かなり以前の放送になります)

“単なる弱肉強食の世界を
表しただけではないのではないか?”

ということに焦点を当てていました。

つまり、

鵙は剣の道の到達点で
それを象徴する姿であり、

芋虫はその高みを目指して
一心不乱に這い上がっていく
修行者の姿

勝負の厳しい世界に
身を置いたものだけが知る
境地を描いたのではないか

一説では
晩年の武蔵に弟子が乞うて、
描き与えたものと
されています。

そのことからすれば
納得いく解釈ではありますね。

宮本武蔵の水墨画|なぜ鵙?

もう一つ、疑問が残りませんか?

なぜ武蔵ほどの武人が
鷲や鷹ではなく小鳥の鵙
描いたのでしょう?

確かに小鳥であっても
鵙は小さな猛禽と言われるほど
獰猛なハンターです。

自分と同じ小鳥も食するのですから
可愛い姿をしてやってくれるものです。

一方、大型の猛禽類である鷲も鷹も
強さ、勇気、不死、権力の象徴として
権力者に愛される存在です。

私はここに武蔵の凄さを感じました。

武蔵はひたすらに剣の道を究める
独りの武人なのです。

それならば鷲や鷹で権力を
誇示するような存在ではなく、
小さくても鋭く無駄なく
隙のない名ハンターの鵙が
ピッタリだ!!

『剣の道の到達点は
驕りであってはならない』

弟子たちにはこのことも
伝えたかったのでは?

これは全くの私見ですが
この記事を読んでくださった
皆さんはどのように
感じていただけたでしょうか?

宮本武蔵の水墨画|鳴鵙なのに?

鳴鵙なのに鵙が
鳴いているように
描かれていないのは?

鳴鵙というだけで
鵙のけたたましい鳴き声を
想像してしまいます。

この鵙の特徴でもある
高鳴きですが、どんな時に
するのでしょう?

秋から冬にかけて
鵙は枯木など、見晴らしのよい所で
鳴き続けます。

縄張りを主張して
食料の確保にかかるからです。

一瞬を捉えた画は
鳴いていませんが、
その前には鳴いていた
のではないでしょうか?

鵙がすぐ眼下の芋虫を
見つけます。

緊張が走ります!!

このあと、捕らえられた芋虫は
“はやにえ”にされて
捕食される運命をたどる?

ここまでをこの画は
想像させてくれるのですが、
武蔵の表現したかったことは?

宮本武蔵の水墨画|推測

武蔵の表現したかったことは?

ここからは推測です。

【背景】のところで書いた
『美の巨人たち』の
仮説と解釈を取りたいと思います。

鵙は剣の道の到達点で
それを象徴する姿であり、

芋虫はその高みを目指す
修行者の姿

剣の道は遠く険しく、巨大な存在

修行者はそれを目指すわけですが
一瞬の気の緩みで倒されてしまう。
努々忘れず鍛錬すること

「千日の稽古を鍛とし、
万日の稽古を錬とすべし」
(五輪書 水の巻より)

ここに繋がります。

宮本武蔵の水墨画|構図


もう一度、画に戻って
構図を見てみましょう。

枯木があります。
鵙が高見に留まっています。

どうやら冬の情景です。

餌はまさに鵙の留まっている
枝先に向かっています。

武蔵は縦125.5 横54.3の
ほぼど真ん中に枯木を
置いています。

ということはその左右に
余白を作ることになります。

画の修練をした絵師ならば
構図を考えるとき、
ど真ん中に対象物を置くことは
避けます。

どちらかにずらして
動きを見せたり
広がりを想像させたり、
余白を効果的に使います。

ここが専門の絵師とは違う
武人の画ですね。

花鳥風月を描いていても
美しい花鳥風月から外れた
現実味と緊張感のある
画になっています。

宮本武蔵の水墨画|右か左か?


番組では武蔵の水墨画もまた
二刀流ではないか?ということで
水墨画家の小林東雲氏が
仮説をもとに模写されていました。

枯木の描き方が右利きの人が
描く描き方ではない。

それでは・・・と
右利きの私も
臨画してみました。

たしかに右利きは
枯木を右下から描き始めたい
心境になります。

そのほうが断然
描きやすいからです。

独学の武蔵は
ごく自然に描きやすいように
描いたでしょうから、
左利きだったかもしれませんね。

画もまた二刀流のようです。

武人らしく迷いのない
勢いのある線で
スパスパと描ききっています。

宮本武蔵の水墨画|淡墨


武蔵の水墨画を観て
まず感じたのが、
淡墨の使い方です。

なかなか淡墨を綺麗に
効果的に使うのは
難しいものです。

さすが宋元時代の作品を
模写して修練しただけあって、
淡墨を上手く使って
描き切っています。

墨色の濃淡についての記事はコチラ ⇩ ⇩ ⇩

水墨画の魅力は白黒だけじゃない!墨色の濃淡は色以上に語ります

宮本武蔵の水墨画|一流の評価


江戸時代後期あたりから
武蔵の作品を評価する
記述があります。

書物『画道金剛杵』の中に
『古今画人品評』と評された
画家のランキングが載っています。

それによると
そうそうたる絵師の中に
宮本武蔵の名が
並んでいます。

6番目の中下品。

これが武蔵の画の評価です。

上中品には雪舟や狩野探幽
上下品には琳派の俵屋宗達と尾形光琳

なんと!

円山応挙や伊藤若冲は
武蔵の一つ下の下上品なのです!!

あの完ぺきに近いような
画を描く応挙までも凌ぐなんて!

一流の評価をもらっていたのですね。

これは驚きです。

明治以降現代までも
武蔵の人気は衰えていませんが、
絵画での評価は
『武人画』の域を
超えていないようです。

この先また研究が進み、
絵画の世界で武蔵の名前を
見ることが出来るかもしれませんね。

宮本武蔵の水墨画|エピソード


「枯木鳴鵙図」の箱書きには
渡辺崋山が所有していた旨が
銘記されています。

渡辺崋山は武士出身の
文人画家です。

江戸時代後期の人で、
たまたま売りに出ていた
「枯木鳴鵙図」を目にして
所有することとなったようです。

納まるところに納まって、
今日にまで残った一幅です。

宮本武蔵の水墨画|署名・落款


武蔵の号は“二天”

残された作品の傾向としては、
花鳥画と道釈人物画がほとんどです。

数十点が残されていて
そのうち正筆は10点ほど
と言われています。

売ることを目的としていないためか
署名、落款の入っていない
作品が多いとされています。

宮本武蔵の水墨画|花鳥画

芦雁図(左隻)永青文庫蔵

「枯木鳴鵙図」<重文> 久保惣記念美術館蔵

「鵜図」   <重文> 永青文庫蔵

「芦雁図」      永青文庫蔵

「紅梅鳩図」 <重文> 永青文庫蔵

「遊鴨図」      岡山県立美術館蔵

「野馬図」      松井文庫蔵

鵜図/臨画

宮本武蔵の水墨画|道釈人物画

「正面達磨図」<重文> 永青文庫蔵

「面壁達磨図」    永青文庫蔵

「布袋図」      岡山県立美術館蔵

「布袋観闘鶏図」   福岡市美術館蔵

「芦葉達磨図」    松井文庫蔵

「布袋竹雀枯木翡翠図」岡山県立美術館蔵

「周茂叔図」     岡山県立美術館蔵

禅宗に帰依したためか
禅画の題材がほとんどです。

達磨図/臨画
布袋観闘鶏図/臨画

宮本武蔵の水墨画|一流画家の弟子?

月下渓流図 海北友松筆(ネルソン・アトキンス美術館)

武蔵は我流で独学の人でした。

江戸後期にもなると
武蔵は長谷川等伯や
海北友松、矢野吉重などの
一流絵師の弟子であったと
指摘する記述もありますが、
根拠はなさそうです。

それでも海北友松の作品とは
減筆法を用いている点など、
酷似していると言われています。

しかし接点や師弟関係の記録は
一切ありません。

武蔵の絵画修行の方法として
宋時代の水墨画を徹底して
模写して学んでいったそうなので、
友松の作品も同じように
学んでいたかもしれません。

宮本武蔵の水墨画|芸術的傾向


武蔵の作品の傾向としては

・減筆法
・余白のある構図
・禅画的
・気韻生動

「肉眼だけでなく心眼で観よ」

と五輪書に書き残しているとおり、
特定の師はいなくても
武蔵の武人としての生き方
そのものが絵画修行にも
活かされているのです。

宮本武蔵の水墨画|剣一筋の人生


これまで武蔵の水墨画を
見てきました。

ここでざっと武蔵の
剣一筋の人生を振り返りたいと
思います。

そしていったいどこで
芸道の道に出会っていったのか
見ていきたいと思います。

宮本武蔵の水墨画|修練期

宮本武蔵 1584年頃~1645年没

1584年(天正12年)の時代背景
・本能寺の変から2年後
・小牧・長久手の戦い

長く続いた戦国時代が終息、
全国統一される一大転換期に
播磨の国で生を受けます。

少年期に新免無二斎の養子となり
剣術を鍛錬。
13歳で名のある武芸者に
初勝利し“鬼の子”と
異名をとります。

宮本武蔵の水墨画|修行期


徳川幕府が誕生するも
なおまだ不安定で不穏な時代

21歳で上京

29歳までは剣の道に邁進する
武者修行期です。

この武者修行期に
60回以上の生死をかけた
勝負に全て勝利したと
自身の著作にあります。

中でも有名なのは
吉岡一門との決闘

宮本武蔵の水墨画|出会い

京の吉岡一門とは3度に渡って
死闘を繰り返します。

最初の決闘地は蓮台野

そこからほど近い所に
本阿弥光悦の住居が
あったとされ、
決闘後二人は出会ったと
されています。

決闘のことはすでに
広く知れ渡っていたので、
偶然ではなかったという
見方も出来そうです。

本阿弥光悦

本阿弥光悦(1558~1637)は
刀研ぎ、目利きの名家の家に生まれます。

鑑定にはあらゆる分野に
高い見識眼を持つ必要があり、
光悦はその培った知識を元に
芸術創造への道を歩みます。

すでに家康も恐れるほどの
公家、文化人ネットワークを
持った人でした。

舟橋蒔絵硯箱 /本阿弥光悦

出会ったのは光悦40歳頃。

殺気立った武蔵を
出会ったその足で、
花街の吉野太夫と引き合わせます。

吉野太夫も光悦と親交深いほど
教養人であったとされます。

このシーンは数多く
ドラマや小説に描かれていますが、
武蔵が芸道に開花する
きっかけになった
重要なシーンです。

40歳代の光悦は
宗達を見出し共に
『平家納経』の修復作業に
携わっていた時期です。

『蓮下絵和歌巻』(部分)本阿弥光悦書、俵屋宗達画

武蔵は光悦の手引きで
様々な文化的交流を
目の当たりにしていたと
想像しても間違いでは
ないと言えそうです。

光悦は名プロデューサー
でもあります。
武蔵に非凡なるものを
見出したのでしょうか。

宮本武蔵の水墨画|襖絵

最後は数百人にのぼる
吉岡門弟と闘います。

門弟から逃げる際、
東寺塔頭の観智院に
身を隠します。

この客殿に武蔵が描いた
襖絵『鷲の図』『竹林の図』が
残されています。

気迫ある筆さばきで
一気呵成に描かれた作品です。

文化的刺激を受けたから
と言って早々筆を持って
描けるものではないと
思います。

ここが武蔵の非凡なるところ
ではないでしょうか?

いかに心を静め
次への道の鍛錬に
繋げていけるかを
芸道に見出せると確信した
瞬間だったかもしれません。

すでに時代の流れを
敏感に感じ取り、
光悦との出会いで
その後の生き方を
模索する一つの手段を
見出した瞬間だった
かもしれません。

いずれにしても
武蔵の「生」への
前向きな執着が窺えます。

宮本武蔵の水墨画|客分として

30歳から59歳

大阪の陣で戦国合戦の時代が終わり、
徳川幕府が確立する時代です。

太平の世の始まりで
武士の刀が役に立たなくなり、
諸芸諸能を出世、外交手段と
していく時代となります。

武蔵もまた大名の客分として
自由を持ちながら
剣術指導で身を立てていきます。

大阪夏の陣に参陣し、
その2年後姫路藩の客分と
なっています。

この頃から兵法の理論を
追求し水墨画も修行の一環として
描き始めたとあります。

宮本武蔵の水墨画|熊本へ


1640年 59歳

熊本藩主の細川忠利に招かれ
客分となります。

翌年、忠利が急死するも
変わらず賓客として
処遇されています。

武蔵の弟子が書いた
伝記「武公伝」では
藩士がこぞって武蔵の門下に
入ったと伝えています。

宮本武蔵の水墨画|最晩年


武蔵60歳以後

天下太平が続き、
合戦を知らない若い武士達に
世代交代した時代です。

その藩主や家老のために
書き始めたのが『五輪書』でした。

現存する武蔵の書画や
工芸品においても
この頃のものとされます。

宮本武蔵の水墨画|五輪書

霊巌堂 九州熊本

ここで簡単に五輪書に
触れたいと思います。

『五輪書』は兵法の道を
地・水・火・風・空
五巻に分けて論じています。

びっくりしたのは、
現代でも通用するくらい
合理的で応用できる
ところが沢山あり、
普遍的道理を追求
していることです。

書画などの諸芸に関わることも
兵法を鍛錬する手段であるとも
書かれています。

宮本武蔵の水墨画|五輪書‐地

地の巻は兵法の道を
大工に例えて武人の心得を
説いています。

自分の道を愛し、勝利にこだわり
チャンスをものにせよ。

そのためには諸職、諸芸に触れて
視野を広げることで
物事の真偽を見極め
主体的に判断すること。

宮本武蔵の水墨画|五輪書‐水

水の巻では
剣術の理論を語っています。

「水」のように変化自在に
構えられるよう日頃から
鍛錬せよと説いています。

「千日の稽古を鍛とし、
万日の稽古を練とすべし」
「近き所を遠く観て
遠い所を近く観る」

宮本武蔵の水墨画|五輪書‐火

火の巻は戦いの実践論です。

戦って勝利するためには
手段を選ばず。
心理作戦もまた手段の一つである。

宮本武蔵の水墨画|五輪書‐風

風の巻は他流派の批判と
正しい道理を説いています。

いついかなる状況に置かれても
通用する理を追求せよ

ルールで固定化されると
その想定内の相手または
場所にしか通用しない。

それでは最悪の状況下では
勝利をものにすることは
不可能だと述べています。

宮本武蔵の水墨画|五輪書‐空

空の巻では人生の道を
説いています。

勝つためにはどうするか?

そのためのグッドアイデアなど
何もなく、ただ常に
己を見つめ直して
心身ともに鍛錬を続ていくこと

これが王道であり
最良の手段であると説いて
締めくくっています。

宮本武蔵の水墨画|作庭家


武蔵は作庭家でもあったようです。

姫路藩に客分として
迎えられていたころに
水墨画同様、作庭も
手掛けるようになったと
言われています。

兵庫県明石市の本松寺他に
枯山水の庭が残されています。

これも書画、工芸と同じく
修行の一つと考えて
いたのでしょうか。

生島あゆみ著の
「一流と日本庭園」では

『どういうわけか富と名声を
手に入れた成功者たちは、
その先に庭造りを目指し、
庭にたどりつく・・・』と
一流人と庭造りについて
書かれています。

禅宗寺院では必ず
庭園が造られています。

それは僧侶たちの
修行のためのものです。

作庭の技術ではなく
また見せるためのものでもなく、
自己の表現であり
客をもてなす亭主の立場に立った
心の表現であることが
最大の目的です。

この著書の中の有名人には
足利義満や豊臣秀吉も
入っているので、
すべての一流人が
修行のためであったとは
少々苦しい解釈になりそうです。

しかし武蔵の場合は、
修行のために作庭したことに
間違いはないと思います。

宮本武蔵の水墨画|アニメ


『バガボンド』は
井上雄彦氏の漫画で、
原作は吉川英治の
小説『宮本武蔵』です。

バガボンドとは放浪者とか
漂泊者という英語のようですが、
キャラクターや物語は
大きくアレンジされているようです。

まとめ


いかがでしたか?

武蔵は熱心に水墨画を学び
彼しか描けない画を描きました。

描きたいものを
技術だけで描き切るのは
不可能ですね。

やはり画家の積み上げてきた
人生経験が活かされ、滲み出て
味となって表現にプラスされます。

「枯木鳴鵙図」のど真ん中に
枯木を配置する描き方で
画に緊張感が生まれてます。

これはやはり武蔵にしか
描けない気迫の画ですね。

現代に至るまで
実に多くの映画や本が作られて
今なお人気のある
歴史的有名人であり、
兵法にしても水墨画にしても
とことんスペシャリストを
目指した人です。

これは是非機会があれば
本物を鑑賞したいところですね。

「枯木鳴鵙図」は
大阪和泉市にある
久保惣記念美術館で鑑賞出来ます。

また「デジタルミュージアム」では
解説付きで所蔵名品が鑑賞出来ます。

宮本武蔵の水墨画|年表

2 件のコメント

  • 宮本武蔵は小学生の時に伝記を読んで
    絵 書に秀でた剣豪と知ってはいましたが
    ブログを拝見し更に理解が深まりました
    今後も拝読させて頂きます
    頑張ってください

    • 松本様 コメントいただきありがとうございます。私も調べていくうち、武蔵のさらに人間臭さを感じました。どんなに凄い偉人でも「コツコツしか道がない」というのは共通語ですね。それともう一つの共通語は、五輪書の中で述べている言葉で「役にたたないことはするな」だと思いました。どんな時代になろうと能動的に生きよ!と。ガツン!と諭された感じがしております(笑)  新しい記事もさらに増やしてまいります。すでに投稿している記事も修正、加筆して充実してまいります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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    ABOUT US

    はじめまして 水墨画作家のCHIKAです。ある日突然、日本人の大切にしてきた美意識に目覚めました。中でも水墨画の面白さにハマってウン十年。独学で学んだ経験を活かし、全くの独学でも楽しめる方法を日々trial and error で実践中。趣味は自然観察、美術鑑賞、茶道etc 京都生まれ