【水墨画】師匠は探幽/上様のゆるカワ水墨画を臨画・鑑賞します

こんにちは
水墨画家のCHIKAです。

今年は卯年ということもあって、
兎の画を描いた殿様の
水墨画に注目してみました。

『カワイイ!』と
思わず口から出てしまいますが、
改めて観てみると・・・

今回は徳川家光公の水墨画を
私なりの勝手な解釈と空想で
臨画・鑑賞しながら、
見ていきたいと思います。

【水墨画】へそまがり日本美術


2019年に府中美術館で
「へそまがり日本美術
禅からヘタウマまで 展」
開催されました。

このブログにご訪問頂いた方の中にも
会場に足を運ばれた方は
多いのではないでしょうか?

日本美術の中であえて、
“へそまがり”に焦点を
当てたのだそうです。

へそまがりとはあえて
ヘタウマに朴訥に描くことで、
共感や親しみを持って
受容れられる絵画

という意味合いでしょうか。

その中で最も注目されたのが、
殿様の画だったというのは、
描かれた画を観た瞬間に
納得いくかと思います。

【水墨画】将軍様の画


2019年に出展された殿様の画は

『兎図』徳川家光

『鳳凰図』徳川家光

『親鶏雛図』徳川家綱 他

家光は3代将軍、
家綱はその息子で4代将軍
ということで親子で出展
だったのですね。

府中美術館の公式図録の表紙は
家光の『兎図』ですから、
この画だけを観に出掛けた方も
いらっしゃったかも?

表紙に魅かれて図録を買った!
という方もいらっしゃいました。

【水墨画】ゆるカワに親近感?


大ブレイクしたというだけあって、
どの絵もけっこうなインパクトです!!

中でも家光公の画は一度観たら
忘れられないくらいです。

SNSでは人気急上昇!

『鳳凰図』にいたっては、
“ぴよぴよ鳳凰”の愛称で呼ばれ、
グッズやアクセサリーも
なかなか可愛くて欲しくなります(笑)

『本当に家光公の描いた画なの?』
『こんなカワイイ画を描くの?!』
と疑いたくなります。

描いた人が将軍となると、
途端に親近感が湧いてきて
他にももっと観たくなりますね。

親近感が湧いてくる理由としては?

それはきっとギャップ
ではないでしょうか!

日本人なら知らない人がいない、
教科書で習う歴史上の人物です。

祖父の家康を神と崇め、
次々と政策を打ち出して
幕府の権威を強固盤石にした人です。

見方によってはワンマンで
冷徹な印象を持ちますよね。

実際とても短気で
恐ろしいほどの行動が目だった
人物だったようです。

そんな人物の描く画が
こんなに可愛かったら?!
ずいぶん上様像も変わってきますね。

【水墨画】下賜された画


このような家光公の画は
家臣に下賜されたために
今日まで引き継がれてきたようです。

いただいた家臣が
下賜されて喜んだ
という言葉が残っているくらい
それはそれは名誉なこと
だったのですね。

その場で上様の画を観たら
たぶん複雑だったと思いますが(笑)

家光公に限らずこの時代の殿様は
家臣に書画を下賜する行為は
日常的だったようです。

それにしても
立派な表装に二重の桐箱
だと言うではありませんか!

それだけでも有難くて、
子々孫々大切にされたことでしょう。

【水墨画】上様はアーティスト?


筆者も最初に知った時は、
将軍様の残された全ての作品を
拝見してみたい!と思いました。

でも何度も画像で観ていくうちに
『大丈夫?』という感想に
変わってはきたのですが(笑)

上様の計り知れない心情を探るのは
専門家にお任せして、
ここではひょっとしたら
とんでもないアーティストの
素養を持っていた人かも!?

ということで
水墨画を描く一画家として
上様の画を臨画してみたくなりました。

【水墨画】師匠は探幽

引用:狩野探幽像(伝桃田柳栄筆)京都国立博物館 ウィキペディアより

臨画にいく前に、
家光公の師匠のお話しを
しなくてはいけませんでした。

徳川家のお抱え絵師は狩野派です。

狩野探幽は狩野派の“中興の祖”
と呼ばれています。

徳川家康が江戸に幕府を
開いたと同時に、
若き狩野派リーダーの探幽は
一門を率いて江戸に移って
活動していきました。

いわゆる江戸狩野派です。

狩野派についてはコチラ⇩ ⇩ ⇩

【水墨画の歴史】狩野永徳と探幽/天下人の絵師が繋いだ墨画の世界

探幽が活躍する時代は
すでに天下泰平の時代です。

御殿を飾る障壁画も
それまでの戦国時代の
荒々しい居丈高な画風と違って、
額縁に収まるような
余白たっぷりのすっきりした
画風に変化していった時代です。

当然ですが家光公は
朝から晩までその素晴らしい
狩野派の障壁画を
目にしていたことと思います。

「一級品は観るべし」
と言われなくても
上様の画を観る目は
かなり肥えていたことと思います。
ご覧になっていればの話ですが。

そんな環境の中で師匠探幽は
どんな手ほどきをしたのか?
興味ありませんか?

探幽自身の特別な上様用の
お手本があったかと思うのですが。

お手本があったとしても
無かったとしても
上様の画は変わらなかった
かもしれませんが、
それにしても不思議過ぎます。

なにせ凄い師匠について
マンツーマンで教わるのですから。

そこで臨画と同時に、
お二人が交わしたであろう
会話も勝手に想像で
再現してみました。

【水墨画】上様の画を臨画

徳川家光 画/写し3点

今回3点を画像から
臨画(模写)してみました。

あくまで筆者の想像の手順で
描きました。

【水墨画】『兎図』の臨画

『兎図』家光筆/臨画

最初に『兎図』です。

  1. どこから描き始めたか
    目か鼻
  2. 次に淡墨・割筆で毛描き
    耳は長く
    前足と爪、尻尾を忘れず
  3. 兎の輪郭を取る
  4. 最後に切り株
    兎よりも濃淡つけて

【水墨画】空想会話と感想


「上様、余白を効果的に
使われたが宜しいかと存じます」

「そうか、余白の美か。
ではこの辺からが良いのう」

紙の下の方にちょこんと
小さく描かれてます。
余白取り過ぎてます。

淡墨をしっかり使っているし、
割筆を駆使して毛描きを
表現されてます。


「上様、大変難しい淡墨の毛描きを
ここまで表現されるとは!
恐れ入りましてござりまする」

「毛の表現がうまく出たのう」

しかも単一を避けて
所々に濃さの違う毛描きもある。

面倒くさい毛描きを
やたら長い耳の先まで
しっかり描いている。

前足は爪を立てて
切り株を抑えている感じ。
横向きに流れてますが・・・

輪郭もしっかり描いてます。


「上様、輪郭線を所々に入れると
画に締まりが出ますが
いかがでしょうか?」

「そうじゃのう」

輪郭が先だったかもしれません。

耳の長さがやたら長いのを見て
師匠のアドバイスで、
後から輪郭を描いたと思います。

耳の輪郭は切り取り線のようです。


「兎は淡墨で描いたが
なかなかどっしりとしておる」

「濃淡が利いて素晴らしい
出来上がりでございます」

兎と切り株の墨の調子を
変えて描いている。
それによって切り株の
どっしり感が出てます。

【水墨画】「守株待兎」


守株待兎しゅしゅたいと

このお話しはご存知ですか?

日本では「待ちぼうけ」
という童謡になってます。

中国宋時代の説話で
出典は“韓非子”です。

農民が株を守って兎を得る、
という偶然の幸運に味を占めて、
また同じ偶然を期待する。

その結果、
田畑は荒れ放題となった
愚かな行為のことを指します。

それはまた一国を治める者に対しても
“古い慣習に固執する愚かさ”
戒めたたとえ話でもあります。

狩野派の絵画は漢画
ベースになってます。

そのため上様のお手本に
探幽が選んだと考えても
当然かと思います。

【水墨画】ルドン兎図?

この『兎図』ですが、
最初は切り株がワンピースに見えて
耳付きのアフロヘアの女性か?!

というのが筆者の感想でした。

とても江戸時代の画には
見えませんでした。
むしろ前衛的で現代的な
絵画にも見えます。

誰が観ても同じような
答えが返ってくるらしく、
『ぶらぶら美術博物館』では、
高橋まり子さんが放映中に
「ルドン?」と呟かれてました。
なるほど

すでにこの兎は
“ルドン兎”
通っているようです。

【水墨画】ルドンの植物人間

オディロン・ルドン(1840~1916)は
フランスの画家です。

印象派が活躍した同時代の
画家ですがルドンはもっぱら
幻想世界を描き続けた孤高の画家です。

若い頃には植物学者との交流で
その影響が見られる作品もあり、
日本でも数年前には、
ルドンの「植物」をテーマにした
展覧会が開催されていました。

そのルドンの世界と共通する
何かがありそうな気はしますね。

【水墨画】『木兎図』の臨画

『木兎図』家光筆/部分臨画

次ぎに『木兎図』です。

  1. どこから描き始めたか
    目か鼻
  2. 目の周りから羽毛を描く
  3. 耳(羽角)とその内側を描く
  4. 翼の部分を描く
  5. 腹の部分を描く
  6. 足を描く
  7. 木の幹を描く
    木兎が乗っている箇所から先に
    背後の続きの幹は少し薄めに

【水墨画】臨画の感想

正面顔ではなく
少し斜めの角度が良いですね!

師匠のお手本と同時に
アドバイスがあったかもしれません。

面白いのは目です。

よく見ると中墨で塗られた奥に
渦巻の線が見えました。
これは面白い!
思わず『おおっ』と声出ました。

とても探幽のお手本が渦巻の線で
描かれたとは考えられません。

左目にはまつげらしき線も
あります!

探幽師匠もきっと笑みを
堪えていたことでしょう(笑)

ひょっとしたら
目の外枠だけ先に描いて、
羽毛に描き疲れた結果、
渦巻になったのかもしれませんね。

鳥を描く時に難儀するのが羽毛です。
家光公はそれぞれパーツごとの
羽毛を丁寧に描き分けてます。

きっと鷹狩りの時に仕留めた
獲物の姿が脳裏に浮かんで
いたかもしれません。


「めんどくさいのう」

「上様、素晴らしい観察力で
ございます。そこまで
描き分けられるとは」

「この前の鷹狩りの獲物じゃ」

足の鉤爪はなかなかの鋭さです。

全くの素人画だと
鳥類の足もいい加減に
描いてしまうところです。
爪が枝を捉えてないような
絵も多く見受けられます。

それに比べてこの画の木兎は
しっかり幹を掴んでいます。


「さすが上様、鉤爪の鋭さが
伝わってまいります」

「こんな爪をしとったのう」

どっしりとした
木兎の重量感も感じます。

逆に木の種類は何だったのか?
妙に頼りなく片方だけに
太い輪郭線が描かれてます。

幹の中墨には刷毛も
使っているかもしれません。

木兎の後ろに見える
幹の続きは消え入るように、
煙のようにも見えます。

描き方はどうであれ、
ちゃんと前後の見え方を
変えて描かれている。


「どうじゃ、木の感じが
出たであろう」

「はい、とてもよく
表現されておりまする」

よくこのひょろ木に
乗っかってるなぁ~
という感じですが、
木兎のさらに“とぼけた感”が出て
家光公の画となってます。

【水墨画の歴史】『鳳凰図』の臨画

『鳳凰図』家光筆/臨画

最後に『鳳凰図』です。
有名になったぴよぴよ鳳凰です。

想像上の鳥ですが、
描くうえでの形は
決まっているようです。

・頭が金鶏、 ・嘴は鸚鵡(日本は鶏) ・頸は龍(日本は蛇) ・背は亀 ・胴体前部は鴛鴦、後部は麒麟 ・足は鶴、翼は燕、 ・尾は孔雀とされています。

時代によって中国と
日本のデザインの解釈は
さまざまに変化しています。

  1. どこから描き始めたか
    目と嘴
    鶏冠のような頭
  2. 頸あたりは鱗のような羽毛
  3. 背中は毛羽立っていて
  4. 燕のような反り上がった翼
  5. 胴体前部のおしどりの
    雄を思わせる長すぎる毛並み
  6. 麒麟?のような胴体の後部
  7. 鶴のように長い足
  8. 最後に孔雀のような尾

【水墨画の歴史】臨画の感想

さて、探幽のお手本の鳳凰は
どんなであったか?

先ほどの鳳凰のデザインの形を
踏まえて描かれているところを見ると、
探幽のお手本とアドバイスは
しっかりあったように思います。

たぶん簡略化されてたとしても、
狩野派絵師の描く鳳凰です。
威厳のある立派なものだと
思うのですが・・・

頭と嘴は鶏風です。
しっかり鶏冠が描かれてます。

後頭部から背中にかけては
龍の鱗のはずですが、
木兎図と違ってほとんど
同じ羽毛に見えます。

お腹部分の長い毛が面白いですね!

鴛鴦の雄を画像で確認してみました。
確かにそれらしき美しい羽が
前の首あたりにありますが、
はたして上様はどれを
表現されたかったやら。


「翼は燕であろう?」

「はい、翼の反り上がり方が
まさしく燕を思わせまする」

極めつけが尾ですね。

尻からは2本出てますが、
先端にいくと3本になってます。
途中でもう一本あったほうがバランスが
良いと思われたかもしれません。

ぴよぴよ鳳凰にこの尾がなければ、
どんな愛称が付けられていたやら?!

これで鳳凰らしく完成されましたね。

【水墨画】家光公の画の特徴


家光公の画の一番の特徴と言えば、
やはり黒々と塗られた目でしょうか!

人物画もこのような
まん丸黒目で描かれているようです。

『兎図』はまさに真っ黒。
見方によっては不気味さも
感じられるのですが。

ぴよぴよ『鳳凰図』のように、
対象物が小さくて
紙の余白があり過ぎるのも
大きな特徴です。

将軍様ならもう少し大胆に
描かれそうなものですが、
紙の大きさとバランスは
考えていないのかどうなのか?

とっても不思議なところですね。

【水墨画】徳川家の気質?


大名や将軍様は
教養として書画も
嗜まなくてはなりません。

将軍様の公務の間の余技
として描いたのですから、
お手本を見てか無視かは
わかりませんが、
それほど時間もかけずに
描いたのだろうと思ってました。

ところが予想よりもしっかり
丁寧に描かれていたのに驚きました。
かなり集中して描かれたのではないか?

自由に描いたとしか
思えない画風なので、
師匠の言葉もそこそこに
没頭されていたかもしれません。

徳川の将軍様はみな
ヘタウマからお手本以上に
力を発揮される方まで
さまざまいらっしゃったようです。

ただやはり家光公は
別格であったことは
間違いなさそうです。

『これでいいのだ』感ありありです。

そこがアーティスト素養を
感じさせるところだと
筆者は思うのです。

まとめ

いかがでしたか?

2023年は卯年
そして大河ドラマは
徳川家康が主人公です。

ということで孫の
家光公の3つの画を臨画して、
不思議を体感してみました。

さらに不思議が増した気分ですが、
後世の人間として
家光公の画を観ることが出来て
幸せだなと思います。

面白い歴史的な絵画は
もっともっと公表して
いただきたいと願ってます。

今回もご訪問いただき
ありがとうございました。

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ABOUT US

はじめまして 水墨画作家のCHIKAです。水墨画を独学で学んだ経験を活かし、全くの独学でも楽しめる方法を日々trial and errorで実践中。“変化・継承する素晴らしさを自然から学びたい”思いで里山暮らしを体験中。野鳥好き・猫好き。アクリル画にも挑戦中。京都生まれ